田舎学生の海外大学院学位留学挑戦記

とある田舎出身の学生が海外大学院での学位留学に挑む汗と涙と命を賭けた壮絶な体験記です。

留学記第 10 章 ~ 留学失敗と再出発 ~

[ 理想と現実のはざまで ]

9.2、9.3章で推薦書や出願に際するアドバイスを書こうと計画中ですが、ここ最近の出来事について思うことを勝手に書こうと思っています笑

結論から先にいうと、ミュンヘン大学を辞めて帰国し、もといた研究室・研究環境での再起をかけた道を選びました。

ここまで至った経緯を自分なりにまとめようかなと思います。
留学の失敗談ってなかなか無いと思うので、興味がある人はどうぞ!

近況報告 ー2週間の学位留学ー

志望理由と経緯

4月の前半はめまぐるしく日々が過ぎていった。

ミュンヘン大学とPenn State (PSU) への進学で悩みながら、かつコロンビアとワシントン大が補欠ということでどの進路になるのか不確定な面がある時期を過ごしていた。


この時は、ミュンヘン大への進学が自分にとってベストだと思っていた。

理由は以下である

  • 日本最速のス―パーコンピューターで研究プロジェクトを持てる絶好の機会があるので修士のうちは好きなことを好きに研究したい

 (アメリカ:奨学金なしの場合、教授主導の研究を条件に給料が出るので自由度が小さい)

  • 研究者になる・なれるとは限らないので、気象学にかなり特化した PSU は将来設計的にミュンヘン大と比較すると△

 (気象学者になる場合、PSUは世界でも指折りの大学 & 素晴らしい教授が多数在籍)

  • 修士をとってから、再び進路選択する機会がある。

 (PSUだとクビになるか卒業するか以外道はなし!)

  • 気象予測で最高峰の研究機関 ECMWF (欧州中期予報センター) でのインターン・研究者との交流ができる環境

 加えて、理化学研究所でもインターンができる!理研の気象予測チームのリーダーとミュンヘン大のボスは10年来の友人らしい。

  • 研究グループが8人程度で、指導教官とのディスカッションが容易

 (PSUの合格した研究グループはかなり大規模。20人はいるはず)

  • ミュンヘンの方が暮らしやすそうじゃね?!2年前の旅行の経験+サッカー好き+旅行好き

 (PSU は学士の大学と同じ香りがする(笑))

そんなこんなで、4月半ばに片道航空券で日本を出発しました。

苦悩の始まり

しかし、直接ミュンヘン大を訪問してないことが、その後に悪夢を引きおこすことになろうとは、この時考えもしない筆者であったし、見通しが甘い自分がいたことを反省せねばならない。


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今でも出発前のあの感覚を覚えている。
あれが、「武者震い」というやつなんだろう。

大きな希望とともに緊張感を感じる。やる気に満ちあふれてた。まるで試合開始のキックオフの笛を聞く前のようなあの気持ち。

そして、ミュンヘンに着くやいなや早速、大学に行き指導教官の部屋を開けた時のあの感動。

その時筆者の指導教官は、隣接するカラフルな美術館を一望できるガラス張りの居室に大きなディスプレイを2枚並べて仕事をしていた。心の底からカッコいいと思った。彼はそれから気象学科のフロアを案内してくれた。同僚やラボの先輩、彼らと会ったときは、この人たちのもとで学ぶ将来の絵が描けるほどであった。1年以上の長い道のりの果てにやっとここまでたどり着いたんだ。そんな達成感も少しあった。

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しかし、想定外のことが発生した。

修士学生の部屋がない。

正確に言うと、10畳程度の広さの部屋において、卒論生と修論生でデスクトップPCを用いて研究をしたい学生が使うための部屋と、PC室 兼 談話室 兼 講義室(プログラミングの講義) 兼 リラックスルームがそれに該当するような部屋であり、修士学生の部屋や個人机があるわけではなかった。
作業部屋は5人が使える程度で、後者の部屋ではよく数人がダーツをしている。

学士を過ごした日本の大学、そして、今まで訪れたり短期でお世話になったアメリカの一流大学では、勉強部屋や机は各人に与えられることは言うまでもなく、ハードウェアやソフトウェアの環境も素晴らしい。

かつそこで学生が真剣に研究なり課題に取り組んでいる。

ミュンヘン大もドイツ屈指の名門なんだし、環境がいいに決まってる!
そんな景色を想像していた筆者にとって、心を金づち、いやどうせならバットで殴られたような衝撃をうけた。

自分が今までの1年必死でやった成果がこれなのか?と。
学士で研究させてもらった環境が素晴らしすぎたせいもあると思うが、この環境以上の場所で自分を磨きたい。そしてトップスクールで博士を取りたい。
それが、どんな苦しい時も決して忘れることなく、困難を乗り越えてきた筆者の原動力であった。

そんな理想郷のイメージが崩れ落ちていった1日目、そしてそれを痛感した1週間目で、本当に心が壊れてしまった。
ここで2年間過ごして、本当に自分は幸せなのか?
アメリカの競争が激しいなかで充実した生活を送るであろう、夏から留学を始める同期に勝てるのか?

学科のドイツ人たちはフレンドリーだった。優秀な人も多くいるだろうし、講義も面白そうなものもある。ミュンヘンの街並みは歴史を感じさせてくれる。ご飯も安くておいしい。留学先の研究グループの人をはじめ、友人は多くできたし、草サッカーのチームにも入ることになった。ダーツをしたり、コーヒー片手に談笑したり、友人たちとビールを飲みに行く予定を立てた。研究・学習環境以外の面では、今までいた大学やアメリカの一流大学よりも良い点はたくさんあった。


しかし、最も基礎である今後のステップアップに必要な毎日の仕事・研究・学びの環境が、元いた大学以下だったことが本当に許せなかった。これは、筆者自身の今までの1秒1分を掛けてきた日々を否定する事実であるからだ。
はるばる欧州に来て、なんで元以下の場所にいなければいけないのか?理解に苦しんだ。
俺は、国際経験が積みたいだなんてそんな薄っぺらい理由で日本を出たわけじゃない。
数年後、トップスクールと呼ばれる場所で博士をとり、あの袈裟みたいな、ふざけたガウンを着て帽子を飛ばし、研究者でもエンジニアにでもなって成功したい。それはもはや筆者にとって生きる意義であり活力である。

そんな目標を前にして、本当にここにいることが自身のキャリアにとってプラスに働くのか?

あとから知ったことだが、ミュンヘン大と同じくドイツで研究資金が重点的に割り当てられているカールスルーエ工科大では、修士の学生から机や部屋が割り当てられ、好きなソフトウェアも購入できると聞いた。


ここに加えて、英語圏以外の外国で暮らす大変さというものを肌で感じた。

ドイツを全体的に俯瞰するとどうなのかは不明だが、ミュンヘンという場所は、英語が通じるようで通じない。書類が多いし、当たり前だが英語の書類なんてない。それに、ドイツ語を話すか話さないかで対応に差がある(特に役所関連・申請関連や学生課)、極めつけに超住宅難で部屋が見つからないというのが負のバイアスが強烈に入った私の感想である。

日本だろうがアメリカだろうがドイツだろうが、このような普段なら気にも留めない小さなイライラの種は日常的に存在する。

新生活は日本でも苦労が多いのに、初日から心を砕かれ、その上そんなイライラや、いくつかの不愉快なことがボディーブローのように筆者のメンタルに穴を開けていった。幸い胃に穴が開くほどまでいかなかったのは不幸中の幸いと言おう(笑)。まだ保険の適用前であったので、そんなことが起きたら大変だ。その代わりに、寒い雨の中地下鉄が止まったせいで歩いて居候先の友人宅に帰り、硬いベットで寝て腰を痛めたことは、いらないミュンヘン土産になってしまったけどね。

そんなこんなで、授業料こそないものの、両親に馬鹿みたいに高いアパート代と生活費をお願いする(奨学金の申請中のため、数か月は実費となる)のは申し訳なかったし、廃人のようになってしまい虚無感と喪失感にさいなまれた筆者にとって、ここに残る意義が渡独1週間にしてわからなくなった。


決断


大概、何かを辞めるという決断は、やろうとする決断と比較し、何倍も大変である。
辞めたいと考えるだけなら自由だが、辞めるということはリスクも伴う。

それに、あれだけ海外で学位を取りたいといっていたのにこんなにも早く帰ってきてしまうのか?アイツは口先だけか、とか、意思が弱いやつだ…などという批判もあるだろう。
友人になんて顔向けすればいいんだとも。

実際ここでもできることはあるんじゃないのか?

気楽に生活してればいいんだ!研究だけが人生じゃないよ!人生の幅が広がる機会ではないのか?!


色々考えた。

でも、ここで自分の壊れた心を治すよりも日本の元いた恵まれた環境で日々精進することが、筆者の目標を達成するには良い選択肢ではないのかと思った。今年またアメリカを受けなおす機会もある。無駄な時間を過ごす必要なんてない。自分にとって良いと思った道を進めばいいんだと最終的に思った。自分の人生は自分で決める。他人になんと言われようと、気にする必要なんてない。自信を持て、胸を張って帰ればいい。

そう思ってから、また段々とやる気がみなぎってきた。そのやる気と負の相関を持つように、腰の状態は悪化していった(笑)。


そして帰国した。
もう一度また頑張ろう。

1年後か、修士を取得してからか、アメリカで学位留学を始める瞬間はまだ決めかねてはいるが、戻ってこいと言ってくれた学士時代の研究室の教授と助教、そして親しい友人には感謝している。

頼れる学位留学の先輩方には、面識もない後輩である筆者に対して非常に親切にしていただいた。
この場を借りてお礼を申し上げたい。

そして…
まだまだこのブログも、学位留学”挑戦記”のままなのだろう…(笑)

雑感 ~痛感したアメリカが科学大国である理由と日本の理系学部を出る利点~

これは大学によって異なるので一概には言えないが、ミュンヘン大について、上記で不満タラタラに愚痴った修士の環境は、ドイツの国の教育システムに深く関係するのでは?と、ふと後から考えた。

まずドイツの高等教育システムについて述べたい

もともと10~5年ほど前まで、ドイツでは学部と修士が5年一貫で、3年の学部に当たる期間と2年の修士に当たる期間を経て、”ディプロマ”と言われる学位が授けられる仕組みであったらしい。

しかし、大学の国際化という政府の方針から、5年を3年の学士と2年の修士に分けたようだ。

ミュンヘン大で感じた、修士は学部の延長のような空気(SNSでは「緩さ」と表現した)はこのためであったのかもしれない。

ここでは、「研究をすること=労働」であり、それは大学に雇用される博士の学生が本格的に取り組むことで、学部生や修士生の論文作成はあくまでコースワークの1つとして行わる色が強いのではと思った。


アメリカが科学大国である理由

一方で、アメリカの理系では、博士に進む場合全員が修士を経る必要がない。

アメリカでは学部4年の後に一貫性の博士課程 / 医学系もしくはビジネススクールといったプロフェッショナルスクール / 講義を収め修士のみで終了する修士課程 の3パターンがあり、筆者が目指す一貫性博士では、最初の2年は講義がメインとなるものの研究でもある程度の成果を残す必要がある。

つまり、ドイツの修士とアメリカの博士課程の最初の2年には、この背景が影響し、後者ではもともと研究を希望する学生が選び抜かれており、その真の違いというものを痛切に感じた。これほどまでに違うのかと。少数精鋭とまでは言わないものの、この育成環境の違いは、アメリカが科学大国である根の一つではないのだろうか。

加えて、ミュンヘン大の気象は多くがドイツ人で構成されているのに対し、アメリカの大学院では国際性(中国人とインド人が異常に多く、他多数)がもう少し豊かである気がした。もちろんこれは筆者のわずか2週間ほどの知見であるので、真実ではないのかもしれない。しかし、アメリカにあれだけいる中国人学生でさえ、こちらでは、すれ違うとアジア人がいて少しうれしい気持ちになった。

世界中から人が多く集まるアメリカの一流大学と比較し、ドイツでは、ドイツ人もしくはヨーロッパ系がかなり多くを占めており、人材の集まりという観点においても、アメリカが科学の幅広い分野において、そのプライオリティをもつ理由なのだと若造である筆者は今更だが強く思った。


日本の理系学部を出る利点

日本では理系、特に学部4年生以上の学生は、研究室である程度の研究が求められるし、論文の提出が卒業要件なっているであろう。

研究をするには、実験なりプログラミングなり手を動かして実験・解析を行う必要があり、知識と経験を兼ね備えている。

一方で、今まで見てきた欧米の場合、長期休暇中などで研究室にお世話になって研究し成果を出す積極的な学生(博士課程に進む者)と、単に講義をとって卒業し就職もしくは修士のみの過程に行く多数の学部生に分かれている気がする。

この点を考慮するに、日本の理系を出ることは、海外留学においては非常に有利な立場にあるのではないだろうか。

書くのが疲れてきたので深い議論はまた今度、本当に筆者自身がアメリカの大学に入学した時にでもしたい。