田舎学生の海外大学院学位留学挑戦記

とある田舎出身の学生が海外大学院での学位留学に挑む汗と涙と命を賭けた壮絶な体験記です。

留学記第 8 章 ~ 運命の奨学金面接 ~

[ 己の価値 ]

近況報告

やっと筆者にも束の間の「春休み」が訪れた。

卒論明けから、今度はほぼ毎日研究所での RA をこなし、ワークシップの発表も終え、スパコンの講習会で大型計算機のプログラム方法を学んだ。非常に充実して実りのある日々であったが、同時にエネルギーも非常に必要だった。

3月も下旬に差し掛かろうとしているにも関わらず、相変わらずアメリカの大学院からは音沙汰がない。あまり良い傾向ではないので最近は期待感よりも、希望がくじかれてもメンタルブレイクを起こさぬように覚悟している(笑)

恐らく現時点ではドイツ行が濃厚であるので、約3週間後に渡独することになるだろう (予定) 。

奨学金面接

ここでは、なかなか対策が難しい奨学金財団 (ここでは特に学位留学を目指す人を支援している財団) の最終面接の様子を読者の皆さんに紹介したいと思う。
結果から言うと、どちらも最終面接で散ってしまったが、中島記念からは補欠との連絡だった。

であるから、奨学生ではない筆者は最終面接の様子をリークしても、現在のところは特段問題ないので、今後このような財団の最終面接を受ける方の参考になれればと思う。

参考までに、奨学金については第 3 章をみてほしい。

takuyakurihana.hatenablog.com


伊藤国際教育交流財団

一番始めに最終選考への案内通知が来たのは伊藤国際であった。
このご時世に、wordではなく手書きで書類を提出させる非常に準備の大変な財団である。

最終面接は 11 月初旬あたりであった。
受付の財団の方から、「選考委員の先生方は、あなた方の研究や将来の希望を聞くことを楽しみにされてますのでリラックスされて構いませんよ(*^▽^*)」と非常にアットホームな雰囲気であったが、

いざ面接が始まると、いわゆる圧迫面接というやつである(笑)

筆者の伝え方が悪かったのか(初見でなじみのない研究を数分で簡潔に話すのは準備をしていても大変であった)、ある先生からかなりしつこく質問され(この先生は少し私の研究を誤解?されていた)、上手くコミュニケーションが取れなかった。この点非常にもったいなかったと思っている。

筆者も、審査員の話をすぐ否定したり(笑)、お世辞にも良い雰囲気で面接が終われたわけではなかったので期待はしていなかった。

主な質問内容は以下
①研究内容
②留学先での研究について
③研究についての詳細
(手法、研究の問題点、扱うスケールなど細かく質問)
④今後の研究の方針

筆者は落ちはしたが、この財団のHPに加筆修正を加えさせるという偉業を成し遂げた数少ない人物の 1 人である。
記録ではなく、記憶に残る男であった(笑)

中島記念国際交流財団

大学のプログラムで氷点下25度を下回る極寒のアラスカに放り込まれる当日に面接があった。
ここも超圧迫であった。圧迫というより、鋭い質問に筆者がどの程度食いつけるか試したのだろう。

なんせ、ここで志望大学(当時 Imperial College London)を再考せよなどと言ってきたものだから、さすがにこの質問には上手く返せなかった(;^_^A
しかし、書類の内容は学部生のレベルを超える程素晴らしく書けていると素直に褒められた事は、正直自信となった。

主な質問内容は以下
①筆者の研究について、留学の意義、今後の方針など5分以内で
②研究分野の課題について
③志望大学とのコンタクト状況等
(ここで希望指導教官が若すぎると言われる)
④読んでいるジャーナルについて
⑤研究経験
⑥今後論文を出す予定

対策

筆者も良い対策方法が何かは断言できないが、様々な分野の友人に面接相手になってもらい、研究について深く突っ込んでもらうことしかないかもしれない。(面接では、ほぼ研究についてのみ質問されるので他の事はそれ程入念に対策しなくてよいと思う)

筆者の場合、夏の研究留学で知り合った K 大の M 君も伊藤国際の最終に残っていたので彼と数回練習した。
彼は非常に鋭い質問を投げかけてきてくれたので、かなり助けになった。(一方で筆者はたいして有効な質問はできなかったかもしれない。ごめんね!)