読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

田舎学生の海外大学院学位留学挑戦記

とある田舎出身の学生が海外大学院での学位留学に挑む汗と涙と命を賭けた壮絶な体験記です。

番外編 ~ 卒業に際して ~

1月末ころからブログを書き始めました。
主に海外の大学に現地の学生として入学しようと目指す見知らぬ後輩のためにアドバイスとなる話をまとめたものです。

まだ読んでいない方は、今後は留学先での生活記として現地での体験を紹介していこうと思うので、お暇なときにたまに読んでコメントして頂けると、非常に嬉しく思います(笑)

いつも読んでくている方々
僕の拙い言葉でつづられた、時折エモさが漂うブログを毎回?読んでいただきありがとうございます。
今後も楽しみにしてください!
アフィるつもりはないので、今後もノー広告でストレスフリーなブログで居続けます(*^▽^*)

進路について

筑波大学で学士を取ったあとの進路は、SNSで書いたようにドイツのミュンヘンにあるルートヴィヒ・マキシミリアン大学ミュンヘン(通称:ミュンヘン大)へ 4 月から進学する予定です。

ここには気象予報の精度向上に関する「データ同化」の研究で有名な若くて優秀な先生がいます。
この先生のもとで修士をとり、もう一度アメリカ大学に挑戦しようかなと思っています(そのままドイツで半永久に過ごすのもいいですけどね!!)。

ミュンヘンは一度旅行で行って、かなり好きでした。
この時、ドイツ人は日本人と近い感じがするなと思ったんで(性格的に)、ここでの生活が楽しみです。

サッカー、ビール、旅行が好きなので、研究の合間に楽しみたいですね!(^^)!

志望までの経緯

研究の世界(特に大学院以上)では、ご存じのようにハーバード大学マサチューセッツ工科大学など数十校の優秀なアメリカの大学に世界中から優秀な若者が集まっており、日本、イギリス、ドイツなど研究で素晴らしい業績を残している国と比較しても頭一つ抜けた存在です。

もちろん気象学でもアメリカには多くの著名な気象学者が在籍していますが、意外にも、僕の研究分野の気象予報に限るとヨーロッパの予報機関(気象庁的な国の機関)がダントツで正確ですごいんです。

このため、秋ごろまではイギリスのインペリアルカレッジ・ロンドンを第一希望としていました。
ここの学科は、世界 No.1 の予報精度を誇るヨーロッパ中期予報センター(ECMWF : 通称 EC)と協力体制で授業を行い、かつ 4 年間で修士と博士合わせてを取れるところでした。

しかし、イギリスの大学では EU 圏外の学生は奨学金を持ってこないと一般的な家庭出身者はほぼ進学不可能です。学費と生活費で 1 年間で500万は裕にかかります(笑)
(通常、日本以外の欧米先進国のトップ大学の大学院生には授業料をとらない、もしくは学部や研究室が支払う、なおかつ給料が出る)。
奨学金を取ることが惜しくもできなかった僕は急きょ第二志望以下のアメリカ・ドイツの大学に切り替えました。

気象予報は国家プロジェクトであり、かつ僕の研究分野のデータ同化は1980~90年代以降に研究が進んだ若い分野のため、なかなかデータ同化を専門とする研究室が気象学科になく、かなり大学選びに苦労しました。(結局出願直前まで研究室探しは続くことに…(^-^; )

加えて、今もそうですが、そのまま研究者として生き残れるのかといった不安があるのも確か。
そこでアカデミックではない進路を博士を取っても選べるように様々な学部で似たような研究をしている先生を選んでいきました(結果的に物理学、応用数学、工学系と幅広い出願になった)。
*博士を取る決意をしたことについては、以下参照
takuyakurihana.hatenablog.com

卒業に際して

卒業に際して、両親には頭が上がりません。

本物の勉強なんてしたこと無い脳筋だった高校の時の僕を予備校に行かせてくれたことには感謝してますし、大学で奨学金を借りることなく行かせてくれた父親は偉大すぎます。
なにより息子が本気でやりたいことを応援してくれる家庭に生まれて幸運でした。

友人達にも感謝しています。

特に…

毎回飲んで騒いだり、夢を語り合ったり、深夜の2時に成田に迎えに来いといって本当にレンタカーできた予備校時代からの親友の M 君には感謝してます。

ブログではあまりかけないことを一緒に楽しくやりましたね(笑)、同じサークルの Y 君と S 君、最高です!

サークルの同期は、ぼろぼろの膝で思うようにサッカーできない僕でも受け入れてサッカーを続けさせてくれました。愛しています。

他にも書ききれない程お世話になった皆さんの事も好きです。一方通行かもしれないですけどね!ありがとう

出願までの楽しさと苦悩

今まで研究なんて 1 ミリもしたことが無いし、コンピュータープログラミングも授業以外したことがない 1 年前の 4 月から、今や、ある程度胸を張れるくらいには(笑)できるようになった今を考えると、この 1 年間、このようなが学位留学を目指して努力を重ねたことは間違いではなかったと思います。

しかし振り返ると、楽しい時もありましたが、精神の崩壊を何度か垣間見ました(笑)

一般的な学生よりは英語ができる僕も、やはり、”できる”界隈から比べたらまだまだで、IELTS / TOEFL といった語学試験には最後の最後まで本当に苦労させられました。(TOEICはリスニングとリーディングのみだが、これらの語学試験は科目数はスピーキングとライティングが追加され、難易度も高いものもある)

研究経験が皆無だから、夏までは論文を読んでもいまいちわからないし、わかってもプログラムが書けなかったり、プログラムを書いても結果の図が何か違う(笑)という状態。
最初の論文紹介では、教授に「何をいってるかわからない怒」と言われる羽目。いや、僕もわからないですよ!
(*ちなみに教授はデータ同化の専門ではないが、基本的な知識は理解している程度。)


なにより、学位留学なんてする人が周りにいない!!

何をしたらいいのかわからないから、必死にネットで情報を集めまくる日々。
朝と夕の区別が無く、ゴールが曖昧で遠すぎて見えない日々に、「本当に自分は海外の大学に入学できるのだろうか」と何度も考えました。

友人達は、そんな僕をいつも励ましてくれましたが、
「やっぱお前はすごいな~!」とか「がんばれ」などという暖かくも具体性がない助言がかえって苦しくもありました。

7月頃には、これら加え、奨学金の申請書も作らねばならず、一度、友人と気分転換に映画に行った後公園で相談しているうちに自然と重圧から泣き出してしまいました。この時は素晴らしい青空だったことは今でも覚えています。

しかし 7 月も終わりに差し掛かると、そんな日々に楽しさを見出せるようになってきました。
研究が少し進んだことに加え、メールを送った海外大学の教授たち数名から返信が来たのです。

今思えば、向こうは常套句で使った "Excellent!" といった言葉に変に勇気づけられたり、具体的にうちに来ないかとも誘われ、暗闇の先に光が見え道が開けた瞬間でした。

加えて、8月に財団の奨学生として、アメリカの大学に短期で研究留学して、データ同化の数学的な知識とプログラム技術を学び、同じ志を持つ KO 大の M 君という戦友ができてからは、苦しさもあったが、研究の楽しさを実感できたかなと思ってます。

帰国後の自分は自信がつき、卒論や研究所での研究を飛躍的に進めることができ、それがさらに自信と確かな実績となりました。

途中、奨学金が全滅するという大クラッシュでイギリス行が事実上消滅し、合格が半歩先だったところで自ら出願辞退を経験しました。世界の名門 6 校のうち、2校からはストレートで合格をもらい、2校は補欠、さらに超一流校のプリンストンも最終選考で落ちました。

やはり激動の日々でした。ですが、これもいい経験かなと思います。
結果的に自分の実力を評価もされながら、やはりまだまだ足りないものがあると教えられた気がします。

昔から惜しい男と、仲のいい奴らの間では有名でしたが、まだまだ惜しい男から卒業できそうにないですね。
自分は巷で流行っている「E判定から大逆転できる」ような人では無いよと、神様が教えてくれているのかもしれません。謙虚に生きろと!

総括

まだ、アメリカ行のチャンスはわずかに残っていますが、とりあえずドイツ行を決断しました。

結果は目で見えますが、目に見えない収穫としては、「研究」に充実感を感じたことです。
地味な日々のなかに、たまにエキサイティングな瞬間がある研究にハマってしましました。

それに、自分の中にゆるぎない人生の哲学を見出しました。

「100人の敵がいようとも、1人の親友がいればいい。
  自分の人生を、自分流の色に染め上あげよう!」

いつか、研究者でも企業で働く人のどちらになっても、皆さんの生活に貢献できることを成し遂げればと野望を抱いて、今後も自分らしく頑張っていこうと思います。